日曜日, 9月 20, 2009

エントロピー学会

渋谷国学院大学1号館で9月20・21日に行われたエントロピー学会の会場入り口の看板に僕のところで作ったポスターが使われていた。このポスターはエントロピー学会のWEBサイトでダウンロードできる。http://entropy.ac


近代の終焉に遭遇し、ファーミングを志す
伊津 信之介  IZU SHINNOSUKE    
東海大学福岡短期大学情報処理学科
shin@izu.bz  
http://west-wind.info

1.はじめに 
 演者は1994年から15年間、福岡県宗像市に居住し農業を生業とする集落の一員として暮らしてきた。ここで一員と記したのは、居住するに際し「御堂組をカタル」というプロセスを経たからである。「御堂組をカタル」ために神社の再建積立金と集会所(公民館)建設分担金などを併せて15万円ほどを納めた。「春川さらい」、「秋道つくり」と言う1年に2回行われる河川の草刈りを中心とする共同作業、神社や集会所の維持作業、葬式の手伝い、年末から新年にかけての「サカムカイ」(代参)などの煩わしさと金銭的負担を嫌って「組をカタル」事なしに居住する世帯が増えている。1995年に現在の住居に移り上記短大職員の業務の傍ら周辺の農地を借り受け無農薬の野菜栽培を行っている。演者の住まう集落は高向と呼ばれ、40ほどの世帯であるが専業農家は8戸に過ぎず、今後も減少すると思われる。地域の主たる栽培作物は、ハウスイチゴと米である。水田の維持は兼業農家でも可能だがイチゴ栽培は専業でないと不可能で、高向集落で今後イチゴ栽培を継続できる農家は3戸に過ぎない。このような地域の特徴から集落内に居住する者が農地を借り受けるのは比較的容易である。しかし現行の農地法では農業委員会が認める農地の貸借は50アール(5反)以上の一括購入か一括借受けでなければ認められない。ところが農業の担い手を欠いた農家は、水田は管理を頼む事が出来るが畑は自分で除草するか代金を払って草刈りを頼むしかない。5反の農地を人手に渡すと農家としての権利を失うことになりかねない。そんな訳で組内の者が畑を使うなら喜んで使わせる。しかし貸借の契約はないので農家でない者は5反以上耕作しても所有者の耕作にカウントされるのである。演者が現職の定年を迎える数年以内に5反まとめて購入し農家になるか、このまま使わせてもらって栽培を続けるかの決断をしなければならない。キーポイントは後継者だ。

2.なぜファーミングか 
 かねてから農業は食用植物の生産という職業を指してきた。一方、我が国でも趣味の庭園管理をガーデニングと呼び、造園業とは一線を画している。農業の概念を、「農」や「農楽」などと呼ぶ事で変えようとする試みはあるが、ファーミングとする例は多くない。演者はかねてからファーミングを、趣味、スポーツ、生産販売に区分する事でその本質を明らかにしようとしてきた。かつて、鶴見俊輔が限界芸術論で、『限界芸術・大衆芸術・純粋芸術』に区分した事に共通するものである。また宮沢賢治が農民芸術論で、われらすべての田園と、われらすべての生活を、一つの巨きな第四次元の芸術に、創り上げようではないかと謳い上げた精神に通じるものである。一方、「シャドウワーク」や「ジェンダー」の著者として知られる、I.イリイチは1970年出版の「脱学校の社会」の序で、「個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識・技術・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育の『 webs 』 をこそ求めるべきなのであると主張した。現在、我々にはWorld Wide Webと名付けられたICTの仕組みがある。情報処理が専門となった演者は、従来の農業からファーミングを創り出し、実践的な試みを通して情報(information)と土壌および植物との関係を問い直していきたいと考えてきた。
 ところが2004年に設立された日本リトルファーミング協会の趣旨と目的によると、「出来るだけ多くの方々に、IT技術を活用して、広く農業に親しむ機会を提供し、農業をしながら生活をするという価値観を広めることを目的とする」とある。これは正に演者がこの15年食用になる植物栽培を続けてきた哲学に通じるものである。この協会主催の検定講座受講者には、農村漁村文化協会のルーラル電子図書館を利用して作物や栽培技術に関する資料を閲覧することができる。これまで演者は試行錯誤を重ねてファーミングに取り組んできた。エントロピー学会シンポジウムの場を借りて演者の取り組みを披露し、取り組みに対する議論のきっかけとしたい。

3.近代の終焉に遭遇して 
 演者は1960年代後半のベトナム戦争と学園紛争、そしてカウンターカルチャーの荒波に翻弄されながら学校の仕組みの外で多くを学んだ。その頃は出来事への対応に終始し、深く考る機会は少なかった。この15年ほどは主にコンピュータで扱われる情報通信技術(ICT)によって社会がそして人間が変わりつつあるという事を研究の中心に置いてきた。人間が記憶領域を外部に拡張し、WWWなどによって相互活用する事によって新しい文化が生まれ、いずれ『情報文明』と呼べる広汎な知の仕組み(I.C.T.sistem)が、善かれ悪しかれ我々を覆い尽くすものと思われる。そんな中で得た結論は、『情報文明』の寄って立つ所に、いわゆる農業・漁業・林業などが含まれないとならないし、『情報文明』がグローバルを指向することのないよう発言しなければならない。そもそも我々が活動する時代は近代から足を洗うか抜けだそうとする時代の移り変わりにさしかかっている。
 資本主義、市民社会、国民国家といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方があらわれた18世紀後半から19世紀前半をもって近代の本格的な始まりとし、それ以前からルネサンス以降までの時代を初期近代(近世)とし、フランス革命の起こった1789年が時代的画期とみなされることが多い。我が国では日米和親条約で鎖国を停止し、1867年の明治維新によって近代化とヨーロッパ国際社会への参入を実現してから後を近代と呼ぶ。この近代の象徴の一つが資本主義であり、最も進んだ資本主義国家がアメリカ合州国であった。しかし現在のアメリカの取り組みから資本主義国家の崩壊を読み取る事ができる。かつてカール・マルクスは資本主義が進むと、『裸の賃労働者が一般的存在となり』、『生活が貨幣(消費経済)で賄われ』、『自給的生活様式が解体される』と考察した。まさに日本の第二次世界大戦以降の歩みはマルクスの指摘通り進んだ。資本主義崩壊とともに裸の賃労働者が職場を次々と追われ、生活は消費経済で賄われ、一人では生きてゆく事すら出来ない都市が地球を蝕んでいる。
 今、地産地消の流れの中で農産物直販所を介して、農村副業が復活し、直接的使用価値としてつくりだされた生産物、あるいはイリイチがいうところのバナキュラーな生き方が土地からの分離、また生産諸条件にたいする所有からの分離に対抗する。これが解体された自給的生活様式の復権に結びつく。

4.ファーミングを志す 
 岩手県久慈市山形村木藤古にバッタリー憲章がある。その憲章は、『この村は、与えられた自然立地を生かし、この地に住むことに誇りを持ち、ひとり一芸、何かを作り、都会の後を追い求めず、独自の生活文化を伝統の中から創造し、集落の共同と和の精神で、生活を高めようとする村である』と自給的生活様式を謳った。また、宮沢賢治は、『われらすべての生活を、一つの巨きな第四次元の芸術に、創り上げようではないか・・・ 都人よ 来ってわれらに交われ、世界よ! 他意なきわれらを入れよ』と農民芸術論で謳い上げた。また鶴見俊輔は、1967年に著した限界芸術論で『 限界芸術・大衆芸術・ 純粋芸術』という定義を示した。演者はこれらに共通する『自給的生活様式』をICTを使った純粋芸術に高めてゆこうとしている。ファーミングを志すことは、演者がローカルからの対抗を実践していく証でもある。実践は、むなかたアラカルトにて http://munakata.info/  

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